水引館

京水引作者 伊予水宝 プロフィール

当店の水引飾りは、この道60年の伊予水宝(故)のオリジナルデザインです。
技術を引き継ぎ、100色以上ある京水引を使い、真心を込めて水引飾りを作っています。

日本で水引のデザインが出来る 唯一の水引職人


伊予水宝(本名 鈴木セツ子)。この道72年の水引職人です。
京都は東山区で京水引の仕事をしています。
古くから伝わる京水引を今に伝える職人です。

清水寺へは歩いてわずか10分、三年坂へは5分ほどの場所に、
水引館はお店を構えています。

水引館の水引のデザインは、家元自身が手がけています。
毎日休む暇なく水引を作り続けています。

水引教室の指導も行う家元は、これまで数々の実績を残してきました。
雑誌や新聞、TVの取材、明治神宮や清水寺への奉献や贈呈、
皇室からの御台覧の栄に浴したこともあります。

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しかし、家元は一時期、引退を考えたこともありました。
近年、世間が昔ながらの水引を必要としていないのではないか、と感じたからです。

外見を似せただけの機械で作る水引や、安い中国製の水引が登場したことで、
日本製の手作りにこだわることによる値段の格差から、
周囲の水引・結納を扱うお店が次々安い物へシフトしてしまいました。

そして、最近のジミ婚ブームで結納店が撤退を余儀なくされていく中、
このまま作り続ける意味を見失いかけていました。

インターネットが家元を蘇らせた


しかし、インターネットによって、予想以上の反響がありました。

「水引がインターネットで売れたんですよ。時代は変われど、ここが日本である限り
水引へのニーズは必ずあるはず。ただ、本物を扱っているお店を見つけることが
出来なかっただけだったのではないでしょうか。」


親と一緒に暮らす家庭が少なくなり、お祝いや結納について正確に伝える機会が
少なくなっていることもあり、昔に比べれば需要は減少していることも事実。

しかし、インターネットならば、若い世代の人達に、お祝や結納の正しい作法と、
文化を教えてさしあげることが可能です。
距離も関係なく、日本中の人たちに水引の素晴らしさ、伝統を知ってもらうことが
出来るようになりました。

お客様のメールや電話でのご要望で、次々と新商品を創造している活躍ぶり。
若い方から作法についてのご相談をお受けすることもあります。
「誰に相談していいか分からなかったので、とても助かりました!」といった感謝のメールが来ます。
若いお客様から頂戴する、喜びのメールや写真を嬉しそうに話す家元は心底喜びを噛み締めていました。商売の方法は変われど、人と人であることに変わりはない、と。

「常に、水引を受け取るであろう人達の喜ぶ顔を思い浮かべながら水引を作っています。」
と語る家元はますますやる気を出されていました。


鈴木水引店のように、あらゆる注文に応えることの出来る水引のお店は、
日本でもとても稀な存在です。
「祇園祭りの水引の依頼があり、名実共に京水引となりました。」
継承者不足に悩む業界ゆえに心配事はありますが、家元はとても明るい未来を見ていました。

(※ 掲載写真・文章は、伊予水宝84歳当時のものです)

伊予水宝 経歴

昭和3年大阪市天王寺区に生まれる。
  19年大阪女子商業学校卒業  日綿実業に入社
  20年愛媛県川之江市に疎開
  21年家業の水引製造業に従事、結納飾りの製作を始める。
  38年愛媛新聞「ひとすじの道」に掲載
愛媛新聞「伝統の技術」に掲載
  40年南海放送テレビ「指の芸術」に出演
  41年明治神宮例大祭第四回全国特産物として、水引による鳳凰一対を奉献
  42年NHKテレビ「こんにちは奥さん」に出演
  43年日本航空より全世界向けのクリスマスカードの製作
ヨーロッパ33カ国の日本航空営業所に展示する宝船の製作
  50年読売新聞「特産芸術ひとすじ30年」に掲載
  51年明治神宮例大祭第14回全国特産物として、水引による小菊盆栽を奉献
  52年株式会社鈴木水引店を設立
  53年京都進出
  56年清水寺大西良慶貎下茶寿記念に水引による御茶を贈呈
  58年華鬘流をおこす
  59年伝統博に鳳凰を出品
  60年京都市美術工芸ギャラリーにて京水引の第一回創作展を開催
平成2年京都市美術工芸ギャラリーにて京水引の第二回創作展を開催
  3年京都市美術工芸ギャラリーにて京水引の第三回創作展を開催
  9年京都市美術工芸ギャラリーにて京水引の第四回創作展を開催