最近では、若い世代へ伝統の技を伝承するべく、
水引教室の指導も行っていた家元は、これまで数々の実績を残してきました。 雑誌や新聞、TVの取材、明治神宮や清水寺への奉献や贈呈、 皇室からの御台覧の栄に浴したこともあります。 → 新聞・雑誌掲載歴はこちら しかし、家元は一時期、引退を考えたこともありました。 近年、世間が昔ながらの水引を必要としていないのではないか、と感じたからです。 外見を似せただけの機械で作る水引や、安い中国製の水引が登場したことで、 日本製の手作りにこだわることによる値段の格差から、 周囲の水引・結納を扱うお店が次々安い物へシフトしてしまいました。 そして、最近のジミ婚ブームで結納店が撤退を余儀なくされていく中、 このまま作り続ける意味を見失いかけていました。 ■インターネットが家元を蘇らせた しかし、インターネットによって、 予想以上の反響がありました。 「水引がインターネットで売れたんですよ。 時代は変われど、 ここが日本である限り水引へのニーズは 必ずあるはず。 ただ、本物を扱っているお店を見つけることが 出来なかっただけだったのではないでしょうか。」 親と一緒に暮らす家庭が少なくなり、お祝いや結納について正確に伝える機会が 少なくなっていることもあり、昔に比べれば需要は減少していることも事実。 しかし、インターネットならば若い世代の人達におお祝や結納の正しい 作法と、文化を教えてさしあげることが可能です。 距離も関係なく、日本中の人たちに水引の素晴らしさ、 伝統を知ってもらうことが出来るようになりました。 お客様のメールや電話でのご要望で、 七夕やハート、ヒマワリ等、次々と新商品を創造している活躍ぶり。 若い方から作法についてのご相談をお受けすることもあります。 「誰に相談していいか分からなかったので、とても助かりました!」といった感謝のメールが来ます。」 若いお客様から頂戴する、喜びのメールや写真を嬉しそうに話す家元は心底喜びを噛み締めていました。商売の方法は変われど、人と人であることに変わりはない、と。 「常に、水引を受け取るであろう人達の喜ぶ顔を思い浮かべながら水引を作っています。」と語る家元はますますやる気を出されていました。 結納館のように、あらゆる注文に応えることの出来る水引のお店は日本でもとても稀な存在です。 「祇園祭りの水引の依頼があり、名実共に京水引となりました。」 継承者不足に悩む業界ゆえに心配事はありますが、家元はとても明るい未来を見ていました。 |
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